琉球ガラスを創り続けて50余年。名工の技 源河源吉インタビュー

源河源吉インタビュー

友達の職場がたまたまガラス琉球を。見習いとしてガラス職人に。

沖縄の海をテーマに琉球ガラスを創り続けて50余年の源河源吉さんに、琉球ガラスへの熱い想いを聞きました。

ーー 源河源吉の生まれはどちらでしょうか。

昭和18年生まれ、那覇出身です。生まれは崇元寺あたりで生まれたとか。小学校は開南小学校。中学校は、那覇中学校です。

ーー 学校卒業後はどのような仕事をしてましたか。

学校を卒業した後アルバイトをしながらいろいろな仕事をしてました。友達の職場が浦添市の宮城で、琉球ガラスをやっていたんです。それで向こうで見習いとして入ったんです。当時18歳ぐらいです。これが琉球ガラスと最初の関わりというか琉球ガラス職人としてのスタートになりました。

40歳で独立。その後に様々な経験が今に生かされていく。

ーー 偶然ガラス職人の仕事に関わったんですね。転々としながら独立したと聞いてますが。

友達の職場だった工房がしばらくしてその会社が無くなってしまい、その後は転々と琉球ガラス工房を渡り歩いてました。確か40歳くらいだったと思いますが、ガラス職人としてある程度キャリアを積んでから糸満の潮平という所に。コトブキガラス工業所という会社をつくりました。

その当時、あちらこちらにガラス工房が増えてきて、経営面でかなり苦労してました。そういった時代背景というか状況だったので、糸満にできた琉球ガラスに参加しました。

数年後、事情があって琉球ガラス村を抜けてましたが、その後、転々と仕事場が代わっていきました。内地の方にも半年行きましたし、沖縄に帰ってからも知り合いから声がかかって働いたりと。その経験、見たこと体験したこと全てが今の私に活かされていると思います。

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それから、転機なったのが、職人数名とそれぞれ独立して読谷の楚辺に工房をつくりました。工房を持ちたかったので、自分で工房をつくって、家(マイホーム)も作ってと。それからずっと縁あってこの読谷で仕事しています。

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ベトナムのホイアンで、工場長に就任。
現地で琉球ガラス職人を育てる。

ーー 読谷で工房を作った後、ベトナムに行かれたと聞いてます。どんな目的でベトナムに。

電力会社の子会社の社長からどうしてもということで引っ張られてですね。自分の読谷の工房も閉めて、工場長という立場でベトナムのホイアンという所に行きました。

ベトナムでは、現地の方々を琉球ガラスの職人として育てる指導をする立場でした。6年はやっていたと思います。

沖縄に戻り再スタート。『源河源吉琉球ガラス工房』を設立

ーー ベトナムから戻ってきてから、どのようにして今の源河源吉琉球ガラス工房の設立に至ったのですか。

ベトナムから沖縄に帰ってきたのですが、自分の工房はしばらく空けていたというか、何もメンテナンスをしていなかったので、琉球ガラスを作れるコンディションでは無かったので工房を作り直しました。いろんな方に手伝ってもらって作業して頂いのですが、その時に、島袋さん(ティンミーの島袋篤社長)を紹介されて。島袋さんとはそれからのお付き合いですね。

工房の作り直しを島袋社長に手伝ってもらっている中で、この読谷の座喜味に工房をつくろうという計画が。そして「源河源吉琉球ガラス工房」が完成しました。

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ーー そういった経緯で島袋社長と会って、源河源吉琉球ガラス工房ができたんですね。その工房で、毎日結構な量を作っていると聞いてます。キツくないですか。

島袋さんからのアドバイスというか方針で、ある程度数をこなすことで商品の価格をリーズナブルに、お客さんが買いやすい価格にする必要があると。それで、毎日結構な量を作ってます。毎日300個は琉球ガラスを作っていると思います。 そりゃあ、結構な数ですから、きついですよ。時々、けんしょう炎になってますがそれでも休もうってわけにはいかないです。コツコツ作ってます。

ーー 毎日、どのような感じで工房で仕事をしてますか。

工房で職人は7~8名だと思います。ほとんどの職人がガラスが作れるようになっているので、それぞれが自分の仕事をするだけの段取りして吹いていく。それを私が最後に仕上げるという、流れでガラスを作っていきます。

ーー 琉球ガラスは1つの工程でも2~3年かかり、全て工程だと20年近くかかるかもと聞いてます。職人さんの育成について教えてください。

昔はアシライ20年といって、グラスの足付けて、台を付けるまでが大体20年ぐらいかかるような。でも今は、そんなこともないんですね。短い期間でできるようになった。
こういう仕事は根気のいる仕事ですから、ずっと続けていかないと一人前になりません。基礎をみっちり覚えて、それからゆっくり次の工程に進んでいくように職人の指導をしています。

ーー 職人さんを育てることで、やっぱり時代時代で変わってくるじゃないですか。その辺で気を付けていることって。

私は、ある程度のことは受け入れる。へまをしても。そうしないとやっぱり怖がられてしまうと、思い切りできくなる。びくびくしながらこの仕事はできないですから。だから細々と言わず、要点だけは言います。あと、練習しているときでも「ここをこうした方がいいよと」アドバイスをしてます。手取り足取り教えるというのはしません。

そのうち職人さんたちがやっているのを見て覚えていきますから。覚えるのが早い人は、1年ぐらいでガラスを吹けるようになりますよ。

商品化も試行錯誤。色付きガラスを再利用したアクセサリーや小物にもチャレンジ。

ーー 商品づくりについての取り組みなど教えてください。

昔と違って、色が豊富に使えるので、女性向けの商品づくりだと、ほとんどがカラフルなつくり、デザインになります。それで、みなさんから「こうした方がいいかな、ああした方がいいかな」とアドバイスをいただきます。島袋社長もよくそういうのは言っていますね。あと、営業を通して入ってきますから、その情報をくみ取って商品づくりに活かしてます。試行錯誤ですが・・。

例えば、色だけでなく、女性は少し小さめにとかサイズを工夫したり。外国の方だと手も大きいので、それに合わせてサイズを考えたりと。最近は、いろいろ小物づくりも結構増えてきてます。ガラスは色がきれいだし、そのまま捨てるのはもったいないので、色の付いたガラスを利用して細かいアクセサリーみたいな小物を作ってますよ。

80過ぎても琉球ガラス、作り続けたいですね。

ーー 源河源吉さん、これからやってみたいこと、チャレンジしたいことありますか。

いっぱいありますよ。
展覧会はやってみたいですね。個展は開いてみたいです。でも、この現状ではちょっと厳しいですけど、じっくり周囲のことを気にせず作品を作る機会が訪れると思ってます。今は、注文もいっぱいありますから、目の前の仕事を頑張ってます。

この仕事は、元気があればいつまでもできる仕事です。できれば80過ぎても、90ぐらいまででもガラスはやりたいと思っています。

源河源吉インタビュー

琉球ガラスに心を吹き込む。名工の技

源河源吉
職人が歩んできた道のり

琉球ガラス一筋。
沖縄の海をテーマに造り続けて50余年。

源河源吉
職人の技と作品

摂氏1400度の窯から芸術が生まれる。

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